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生活保護から稼ぐ力(生きる力)を身につけて人生180度逆転。

はじめまして。井後史子です。

こちらに来てくださりありがとうございます。
こちらの記事では、私自身の紹介と思いを書いていきます。

私は、28歳で離婚し、生活保護を受けている最中、インターネットに出会い、
インターネットビジネスをする方々を対象にしたサービス事業を立ち上げ
創業3年で1億を売り上げる会社となりました。

その後、印刷、製本、発送代行、出版事業、コンサルティング業、セミナー事業、商品企画など、
複数事業をグループにて展開し、合計で8社の会社を経営しておりましたが、
その後、3社の会社&事業を精算し、1社は手放し、1社は休眠させてしましました。

会社立ち上げるまでは、全くのビジネス経験のない主婦だったのですが、
借金も抱える中で数々の困難を乗り越え、他の方々の協力を得て

現在は、自社の会社3社のオーナー&社長と別会社2社の取締役を兼任しています。



軽く箇条書きで、私の紹介をしますと

・シングルマザーで借金を抱えて生活保護を受給中に法人を設立する。
(役所からは未だかつて、そんな人に出会ったことないとビックリされる)

・誰から(別れた夫)も援助なしで、片親だけども、子供の大学費用、
海外留学費用、下宿費用全て、誰からも借りることなく余裕でまかなうことができた。

・年商億を売り上げた会社は2社。一番多い時で、会社の年商が2億4千万円突破。

・商品企画販売では、オリジナルパーソナル手帳を延べ3000冊以上販売

・オーガニックジュースでは、新宿伊勢丹にて3800円にて販売&農業体験ツアー実績

・出版事業では出版した著者のイベントを東京と大阪で300人の出版記念講演会主催

・イベント&ツアーは延べ50回以上開催

・統計学(プロファイリング)を活用したカウンセリングでは延べ2000人を実施

・一緒に旅行し合える友人、パートナーがいるので、全くもって孤独感とは無縁

・ビジネスパートナーと共に、刺激し合いながら、自己成長に励んでいる

・200万円の高額研修の運営に携わっている

・週一は、ビジネス視察旅行&全国のクライアント様へご訪問中

・億ションと言われるマンションを購入

・自分のために美容、健康にお金を使える様になった

・自分が倒れても大丈夫なようにお金の流れと人との協力関係を構築して
老後不安がなくなっている


こーんなことを書いていると、井後さんだからできたのでしょ?
知り合いが多かったのでしょ?誰かにお金を出してもらったのでしょ?

と思われるのですが、

高校を卒業し、社会にでるも20歳で妊娠し、結婚と当時に出産。
ビジネスの立ち上げ経験も、コネも、学歴もなしで、
得意分野や特別な才能もありませんでした。

子供と2人、どうやって生きていけばいいのかわからず、
将来に対して不安ばかりで、泣いてばかりの私でした。

生活保護を受けるしか生きるすべを知らなかった私が、
今の私を見たら、きっと「信じられない」と言うでしょう。



20歳でデキ婚。旦那からのDV。そして借金を残し失踪

20歳で結婚した私は、翌年息子を出産。

旦那は同じ年。出産を経て、母としての自覚が芽生えた私が家事と育児に追われる様が面白くなかったのか、
父親としての自覚もなく、給料を全額ギャンブルにつぎ込み、どんどん借金を作ってきました。

その借金を返すために、またギャンブルを繰り返す・・・まさに悪循環。

旦那は、ときどき帰ってきては、借金だけ残してまた出ていくので
「もう、いいかげんにしてよ!家族のために働いてよ!」となんども口論になるも

キレた夫から暴力を受けて、私の身体には殴られたアザだけが増えいき、
いつしか夫は連絡すらよこさず帰って来なくなりました。

その後、我が家には借金の取り立ての電話やドアに借金返済要求の貼り紙を貼られるようになり
幼い息子を抱えた私は、

「このままだと、家を追い出されてしまう」とかなり切羽詰まりました。

こうなったら、頭を下げるしかないと、夫や私の親に借金の申し込みに行きましたが、
門前払い。お金のことになると身内でも冷たいものでした。

「もう、私には頼るところがないんだ・・。もう、いい!絶対誰にも頼らないで生きてやる!」

そう思って、固く、固く誓いながら涙でぼやける視界から見えた子供の姿が
さらなる決意を強くさせてくれたのです。



「じゃあ、どうやって稼げばいい?」

そう考えたときに、学歴もビジネス経験もコネもない、
小さい子供を抱えた主婦ができることなんてあるのかな...。

もんもんと考えるも見つからず、
「そうだわ!なんでもいいから、寝ないで、がむしゃらに働くしかないわ!」

結局それしか思いつかず、私は小さい息子を抱えて朝・昼・晩と働くことを決意。


仕事のコネも、経験も特別な能力もない私が男の人なみに稼ごうと思ったら、

睡眠時間を削るしかないと考え、朝は新聞配達をして、昼は牛丼屋で働き
夜は子供を寝かしつけてから、スナックでバイトという生活を始めたのです。

仕事を3つ掛け持ちで、隙間時間に家事、睡眠、子供の送り迎えなどを
こなしていました。


働いて、働いて、睡眠時間を削って働いて...


計算上、これで何とか借金を返済しながら、生活できる!!
と思ったのもつかの間で、

気が付いたら、過労とストレスで体を壊し、倒れていたのでした。


「なんで自分のカラダはこんなにも弱いのよ!!せっかく稼ごうと思って頑張っていたのに・・・
あーぁー。結局、私が意地になって睡眠時間を削って働いても数ヶ月しか続かないんだ...。
なさけない私。」

この時ばかりはすごく自分は何をやってもダメな人なんだと落ち込み嘆き
涙が止まらなくなりました。

子供を抱えても一人で生活してやるー!!と思うも

女が一人で誰の手も借りず、借金を返済しながら、小さい子供を育てていく
ということが、どんなに大変で厳しいものかを嫌というほど痛感したのです。





お金のことを心配しないで眠れるようになりたい。

家族一緒に揃って毎日あたたかいご飯が食べたい。

そして、「心から笑える生活がしたい。」


これが当時の私の夢。


「そんなささやかな願いさえも、私は叶えることができないなんて...。」
息子が眠ってから何度も情けなくて泣きました。

情けない現状をすべて自分のせいと思い、自分が大嫌いになっていました。

とても、とても孤独な毎日の繰り返しで、
「もう誰も信じられない。結局、自分しか頼るものはないんだわ!」

そう思いながら、頼るべきはずの自分さえ、大嫌いだったのです。


なすすべなし。路上生活を決意し生活保護という制度を知る

そのような状況にも関わらず、電気、ガス、水道なども滞納していたため
ストップするのも時間の問題でした。

そして、ついに夫も家に帰ってこなくなってしまったのです。
「これからどうしよう。どうやって生活していったいいのか...」


このままだと家賃も滞納しているので、いつ大家さんに追い出されかわからない。

「ここまできたら、いっそうのこと、
路上生活者となって、その中でも生き抜いてやる〜〜〜!」

と半分ヤケクソで投げやりでしたが、外は極寒の2月。
「この子が寒さと飢えで死んでしまったら?だめよ。ためだめ。」

と考え直し、いつまでも泣いていても何も変わらないし、
少しずつでも行動しようと、近所の不動産屋に駆け込むように入りました。




恥も外聞もなく、いまの自分の置かれている状況を打ちあけました。
「お金がないのですが、引っ越ししたいです」と。


家賃を滞納したまま飛び出してきてしまったことなど
すべてを打ち明けました。


その時の私はというと、
「どう思われてもいい。いま以上に悪くなることなんてもうないわ!」
と開き直っていました。


そこにたまたまシングルマザーの社員の方がいて
母子生活保護の存在を教えてくれて、最低限どの生活の保証が作れるということ。

そして不動産屋の社長をはじめ、従業員の方々が「俺らがなんとかしてやる!」

「お金は後からでもいいからとりあえず引っ越そう!」と言ってくれたのです..(涙)

この時ばがりは、「この世に中に、神様っているんや!」と
本当にありがたく、感謝で心が震える思いでした。

夫が出て行ってからというもの、はじめて人の優しさ、温かさに触れた瞬間でした。


不動産屋さんの方々に身の回りのことまでお世話になっていくうちに
まったくの他人のために、損得関係なくここまでできる人がいるんだ。


してくれる人がいるんだ、ということに心を揺さぶられる思いがしました。

全ての思いを出し切ると、捨てる神あれば拾う神ありという
言葉通り、トントン拍子に話が進んでいったのです。


その方たちに身の回りのことまでお世話になっていくうちに

まったく赤の他人のために、ここまでしてくれる人がいるんだ・・・
ということに心を強く揺さぶられました。

そして、「私もいつかは人の役に立ちたい‼」

と強く思うようになったのです。

人間不信だった孤独な私が、人の温かさに何度も触れることにより、
「私も何かがしたい!」と、思うようになり、

方法はわからないまでも、将来に対して希望を持つようになりました。

毎日、何度も何度も「この先どうしたらよいかわからない」と
不安と孤独で心が締め付けられながら生きてきた私にとっては

少しの勇気をもつキッカケとなったのです。


母親失格。子供の命を危機にさらすことになり自らの死も決意

引っ越しが終わり、念願だった子供と平和な2人暮らしがスタートしました。

結婚するのと違って、子供を連れての離婚は色々な手続きが沢山あって
日中はパート勤務とその手続きなどでほとんどの時間を費やしていましました。


喜ばしいことでもお祝いされることでもないので
感情もなくただやることだけをこなすといった毎日でした。

日中は忙しさで自分自身のことなど考える暇もなかったのですが
夜、子供を寝かした後、部屋がシーンと静まりかえった空間で
色んな思いが私の脳裏を駆け巡ります。


「なんで私は、こんなにシンドイことを一人でやっているんだろう」
「手伝ってくれる家族やパートナーがいる人は、羨ましい!」
「私には誰もいないし、一人で子供を抱えて生きていくしかない」

「わかってはいるけど、この先どうなるんだろう・・・」


離婚前の一番辛かった時期よりは、少しは落ち着きを取り戻しましたが
別れた夫も初めは養育費をくれていましたがその後音信不通になり、
ある日を境に振込みも途絶えました。


それと同時に、私一人で幼い息子を抱えたこれからの生活に対しての

不安、重みがずっしりと、、のしかかってきて、
今にも押しつぶされそうになっていく感情に支配されて寝れなくなり

「こんなんではダメよ。何のために離婚したのよ。
私は母親なんだから、頑張っていかなきゃダメよ!」

逃げたい気持ちに潰されそうになっては、
自分自身を叱咤激励する日々を繰り返していました。


私のココロはそんなストレスを抱えたままで、これからの目標に対して
思考がストップしていたままだったのです。





壊れる寸前の精神状態のまま、日中は子供の進学、定職探しなど
パートの合間をぬっては正規雇用の面接に行き

ほとんどの会社から
「子供さんが病気やケガになった場合は、預けるところありますか?」
「子供さんが原因でいきなり休むってことはないですよね?」

という「子供さんが・・・」というフレーズ....。

「預けるところはありません」とお返事すると

・・・「会社としては充てにしているので、
急に今日休みますと言われても困りますので
子供さんがいると採用は難しいですね。」

ピシャリと言われました。



それでも、私は面接のたびに正直に言うしかなく、
何度も断られるうちに、
「私一人だったらどんなに楽だろう・・」
「子供がいることで正社員で働くこともできないなんて」

などと頭の片隅でときおり出てくるフレーズ。

その度に、「こんなことを考えるなんて母親として失格やわ・・・」
と、自己嫌悪に落ちる日々。

就職先もなかなか決まらず、受給していた母子生活保護で
細々と食いつなぐ毎日。

市の福祉課の担当者から早く仕事先を見つけて
くださいと毎週ごとに電話や自宅訪問されては
「すみません...。」と謝るばかりでした。

そんな中、子供が朝から高熱でグッタリとしていて
子供は「しんどいよ。。お腹痛いよ。。。」と泣きながら
体温計で計ると40度近く熱が出ている状態になっていました。

間の悪いことに、その日は働いている飲食店の
店長代行として任された「絶対に休めない日」で

私が休むと店が運営できない、他のスタッフは新人ばかりで
お願いすることもできない重要勤務日でした。

「何で、今日に限って熱が出てるのー?」
「今日は絶対に休まないでくれと言われていたのに・・」
「店が開けれないとなると、損害がでてしまう」
「そんなことよりも、子供の体の方が大事ではないか??」


もう、頭の中でグルグルと仕事の責任と母親としての思いと
いったりきたりで、だんだんと冷静な自分が失われていって...

私が取った行動は、仕事を選びました。

高熱を出している子供を寝かしつけて
後ろ髪を引かれるようにお店に出勤しました。


最悪な日は多くのことが重なるもので
出勤後、早めに段取りをつけて早退しようと思っていたのですが
その日にかぎって金銭トラブルが発生し
帰宅が遅くなってしまい、

急いで子供の様子をみると、
脱水症状が出ていて、ぐったりとなっていました。



うわあーーと涙ながらに、慌てて緊急病院へ連れていき

「ごめんね。ごめんね。長いこと苦しかったよね。」
心の中で息子に何度も謝りながら・・・

子供にもしものことがあったら・・
「私には生きる価値はない。ママも一緒に死ぬから!」と決意しました。


病院に行くと、お母さんは、入ってこないでくださいといわれ、

しばらくして診察室に入ると、先生からは

「なんで、こんな状態まで子供を放ったらかしにしていたのか!!」
「もう少しで、危ないところやったで(怒)!!」
と怒られました。


その瞬間、
「ごめんなさい。本当にごめんなさい・・・。」

もう何も言えず、母親として失格を言い渡され
「私は、何をやっているんだろう。子供の命さえも犠牲にして...。」

涙が止まりませんでした。

母親としても失格だし、
生活保護をいただきながら、生活をなんとかしている状態だし...。



「私は、一人では何も出来ないんやあ」


病院で、少し元気になった子供を抱えて
家までの帰り道、涙で前が見えなくなりそうになりながら

「子供が病気になっても病院に連れて行ってあげることができて
看病しながらでもできる仕事はないのかな?」と思いを巡らせていました。

数日後、パソコン一台で自宅で稼いでいる主婦のニュースを目にして、

もし、パソコンを使って自宅で仕事ができるようになれたら
子供が病気になっても、そばにいてあげることができる!!!

と、強く思い描いた私は、家にパソコンが無いにも関わらず

次の日には、アルバイト先には退職願いをだし、
自宅でパソコン一台で稼ぐことを決意したのです。

ウインドウズって何?パソコン音痴がインターネットの世界へ


さてさて。パソコンで稼ぐと決意したけど、
電化製品のお店に行ってもチンプンカンプン。

何がいいのかわからない。困った。どうしよう。

たまたまアルバイト先の店長がパソコンに詳しい人で
恥をしのんで質問しました。

「パソコンを買いたいと思っているのですが。
ウインドウズって何ですか?」

店長は、呆れた顔で
「はあー?そんなことも知らんのにパソコンを買うって?
無理は言わんから、やめておけ!」と。大笑いされました。


それでも納得行かかった私は、その後店長には、
しつこく、何度も何度もお願いし続け、
私のしつこさに根負けしたのか、店長が私のパソコンの
先生になってくれたのです。


周りの人にm「ウインドウズって、何ですか?」と聞き続けて
皆にバカにされたけど、やっと教えてもらえる!!!
ここで一気に頑張ろう!と気合をいれるも、

パソコンの値段を見て「た、高い...買えない...」
立ちはだかる壁に手も出せないとしょげる私。

そんな私を見て、店長さんが自作のパソコンを格安で
譲ってくれたのです。

その格安でさえもかなりの痛手でしたが
自分の将来に対して可能性が拡がったような気がして
ワクワクしました。


我が家にやってきたパソコンを四苦八苦しながらインターネットに
接続し、色々なHPを見ながら

パソコンで稼ぐと決意したけれど、
パソコンは得意ではない私にできるだろうか。

また、インターネットで稼ぐって具体的にどうすれば良いの??
そのためのスキルはどうやって学べはよいのかわからない。。

ネットで検索しては、
「インターネットで稼ぐ」というキーワードが入った「メールマガジン」を
多数登録し、むさぼるように読み、

もっと知識を得なければ稼げないと焦りだした私は、

《インターネットを使って稼ぐ方法を教えます系 》の
セミナーに通うようになっていきました。

インターネットビジネスは甘くはない。稼げない日々の焦りと不安

少額セミナーに参加し、まずは、インターネットで、
1000円でも稼げるように色々とやってみようと思うも

何を売れば稼げるのかもチンプンカンプン。

自分の得意なことや好きなことをインターネットを使って
稼ぎましょうという内容が多く、自分には程遠いと思ってしまい
100円すらも稼ぐことができない状態が何ヶ月も続きました。


孤独と、落胆と、極度の不安に苛まれていた私は、
「このままでは、何のために子供を預けてセミナーにいっているのか
分からない...。私にはインターネットで稼ぐのは無理なんじゃないか」

と思うようになってモチベーションも下がってきました。

世間では、パソコンでのクレジット決済の抵抗がなくなってくる流れになってきて
さらに多くの人が、インターネットで物を販売したいと考えるようになり、

物がない人は、情報を販売したり「物+レシピ」といった複合での販売や
アクセスを集めるための仕組み(ツール)を販売するであったり
人の商品を紹介して(アフィリエイト) 稼ぐようになったりと

商品がない人は情報をまとめて販売するといった「情報販売ブーム」が到来しました。

情報販売者の方々が、「お金の写真」を生々しく掲載して、煽るように販売していたのもあり
インターネットビジネス(ネットビジネス)の世界は怪しいという人も多かったのですが

早い事参入した方々が成果をだしているのをみて、
学歴や、コネやキャリアも関係ないのがインターネットの世界。

これなら、私でも家にいながら頑張れるのではないか!!

「私でもできるかどうか、わからないけど、 もう、この選択しかない。
最低限の金額(パソコンとネット回線代、電気代、ドメイン代など)で スタートできるビジネスなんて
他にはないのだから、迷ってる暇なんてないわ!!」


そして・・・

少額セミナーの内容だけでは稼ぐことは難しいと思い
焦った私は、

稼ぐ系のノウハウを教えてくれるという数十万以上する高額な「起業塾」へ
入塾することになったのです。



生活保護をういけているという状態だったので、
当然一括払いができるお金もなく、分割で何回に渡り
お支払いするコースで申し込みました。

その塾では、とにかく、
「独立しろ」「会社を設立しろ」というスパルタ塾でした。

周りからも「ヤメたほうがいい」と言われたのですが
絶対に自分で仕事をしてやる!!と周りの反対を押し切って起業し、

必死で行動するも、気づけば、借金ばかり増えていったのです。

そして、さらに生活もカツカツになり、
「来月からもっと切り詰めたら大丈夫だから」と

自分に何度も言い聞かせなから、、、
心身ともに疲弊していきました。


貧乏シングルマザーの逆転劇

「諦めたくない。もう、あの日の私に帰りたくない!」

この一心で、毎日毎日、パソコンと格闘しながら、
「ホームページビルダー」というソフトを購入し

ガイド本を片手に作っては消し、作っては消し....。を繰り返し
何とか形になったものを周りに見せていくと、

自分のホームページやブログもカスタマイズしてほしいと、
数人の方から言われたのです。

当時は、ホームページを業者に依頼したら、数百万近くになった
時代だったので、私みたいな素人にも依頼がきたのです。



そして、高額塾の受講生の方々も、ほとんどの人が情報商材を作りたがっていましたので
上手に作れない方も多くて、私がその方々をサポートするということで
ホームページ(LP)、セールスレター、アフィリエイター販売登録などの

段取りをお手伝いするうちに
短期間で情報商材を販売するための知識がグンと身につきました。



その後も私は、自分の商材を作るよりも
いろんな方の情報商材の製作をサポートをするようになり
周りからは、井後さんは「情報商材に関して詳しい人」みたいになってしまい

何人かの方から「お金を払うので、商品作りから販売段取りまで、全て任せたい」
と言われることも多くなり、

その結果、正式にお仕事としてご依頼をいただくことになったのです。

「やったぁあああ!」

起業して初めての収入は、何と嬉しかったことか!

今でも銀行通帳をコピーして「ガッツポーズ」したのを覚えています(笑)


私自身は自分で販売する「情報商材」を作っていないのにも関わらず
他の方の情報商材をディレクションして、
お金をいただくようになり、業績は一気に回復したのです。



初めは、この高額塾に入って、
キチンと取り返すことができるだろうかと本当の本当に不安でした。

情報商材で稼ぐといった目的の達成はいたしませんでしたが、

たくさんの方々の「代行サポート」をさせていただくことで
結果的に貧困時代を乗り越えることができたのです。

ビジネスが軌道に乗って夢ができて、人生も180度変わった

だいぶ廻り道をしましたが、生活費を安定的に「代行サポート」で
稼げるようになってくると、

色んなお困りごと(めんどくさいこと)が世の中には多いことに
気づいてきました。

・商品が売れた場合の発送業務をやってほしい。
・お問い合わせや電話対応をやってほしい。
・pdfデータを商品が売れたら印刷製本してほしい。
・動画データをコピーして発送してほしい。
・商品を保管しておいてほしい。
・ブログの更新をしてほしい。


本当にたくさんの代行を探している人が沢山いるということが
手に取るようにわかりました。



「ビジネスとは、相手のお困りごとを解決することで成り立つ!」

基本のキは、コレなんですよね。


頭でっかちに、「自分はどんな価値が提供できるか?」
ばっかり考えていても、

行き着くところは、

「私には何もない・・」どうしよう。価値がない。何もない。。

といった、負のスパイラル道場。


モンモンと考えるだけで、結局何もやれなくなってしまう。


このままではいかん!と思い直し、

「何もないからこそ、知識知恵を吸収し、これから始める方の指南になる!」

と、考えを180度変えて、セミナーで会う人などに

「何でもやります!!めんどくさいことは何かないですか?」と聞きまくりました。



受注した仕事は、パソコンが家にある人に声をかけていき
何人かの人からは、

「家にいながら、仕事ができる事が嬉しい」

「子供を寝かしつけてから集中してやるので
自分のペースでできるので助かります」

など、お礼の言葉をいただく事が多くなりました。

世の中には、こんなにも家でパソコンで仕事する事を
求めている人が多いんだあ。。




仕事の悩みはもちろん、人生相談などにもお答えするようになって、
自信を無くしていた私も、気持ちが変化していきました。

同じように悩んでいたのは
自分だけじゃなかった。

かつての自分の姿と重なり、
悩んでいるママ達のことを思うと胸が痛くなりました。

キャリアやコネや学歴や経験がなくても、

少しの期間、真剣に頑張れば、

お金に対する不安や
将来に対する不安も軽減され、

さらに、自分の自由な時間を得ることができるといった副産物もある。

何歳からでも遅くない。

ちょっとした勇気と、ちょっとした創造力があれば、
生活費を支える以上のお金は稼ぐことができるんだということを
体感してもらいたい。

私が、インターネットビジネスを立ち上げた時代は、
ブログがメインでしたが、

今は、多くの発信ツールやSNSメディアがあるので
チャンスが多いし、

もっと、女性が自分らしく働ける環境を作りたい!

シングルマザーや、子育てママ、親の介護などで、限られた時間の中で
家でできる仕事で両立できる働き方を届けたい!

そんな夢をもつようになっていきました。




インターネットを活用して稼げることを実感してほしい。


家で仕事をしたいと思っている人に
どういったサポートができるだろう??

パソコンが得意でない人でもできることって何だろう?



資金に余裕がなくても
子供がいても
親の介護があっても
病気がちでも

家で働くことができる方法とは、


パソコンやモバイルを活用し
インターネットを活用して仕事をするということ!

ということに気づきました。

何も得意分野がなくてもインターネットで稼ぐことはそこまで難しくない。


まずは、
インターネットでビジネスをする方々の「代行サポート」をすることから スタートし、


知識ややり方を学んでからは、

・物を販売するといったことを始めたり
・カウンセラーやコーチなどの相談業を「無料通話ツール」を使って始めたり
・ブログやSNSで人の商品を紹介して紹介料をもらったり
・「先生」と呼ばれる方の知識をプロデュースし販売したり

ここれからの時代は、
複数の収入の柱を構築するといった「複業ビジネス」を
作り上げることが、最も盤石なビジネスモデルだと実感しています。


ここまでくるには、事業での失敗や何百万という投資もしてきました。
経営について学ぶために大きな自己投資もしました。

それでも、スムーズにいくことよりも、立ち止まることの方が多かったです。

そして今は、さらに大きな夢に向って一歩ずつ進みながら
ビジネスパートナーと心から楽しいと思える仕事をしながら充実した毎日をおくっています。

さいごに。


いま私は、たくさんの方のサポートをさせていただくことによって
学ばせてもらいながら、喜びの対価としてのお金を受け取っています。

あの時の経験があったから今があると思えますし
たくさんの方々のサポートがあって、のり超えることができたことは
感謝しかないです。

私がこんなふうに変化できたのは、
決して私だからではありません。

不思議なことに「やるんだ!」と決意してから、
自分がその方向に引き寄せられていくように人や物が流れ込んで
くるようになりました。


インターネットビジネスといえども、全ては「人」「ひと」「ヒト」です。
人が流れを運んでくれる。人とのご縁で拡がっていく。


私自身がたくさんの人から知恵とビジネスの流れを
伝授していただき実践していった方法や経験したこと(失敗も含めて)を

多くの人にお伝えしたい。


一人でも多くの人が「家で仕事ができるようになって、
ゆとりのある暮らし」をしてほしいと思っています。


そんな想いからメールマガジンで情報発信をスタートいたしました。

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長くなりましたが、
最後までお読みいただきありがとうございました。










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